2.古密綸人(ふるみつりんと)
8月3日、この物語の主人公である高校二年の古密綸人は(逢題 旋)は、今日も三度のメシより大好きな、部活・剣道の練習に励んでいた。古密綸人の通う高校は、都下でも有数の剣道強豪校である。歴史ある伝統校ではなく新興の私立高校であるが、ここ十年間の活躍は目を見張るものがあった。その剣道に対する集中力たるや、他の追随を許さぬものがあり、創立して二十年もなっていないというのにいつのまにかその名を全東京に轟かせているのには驚異としかいいようがない。
その名を「奇龍(きりゅう)高校」という。きくところによればこの高校の創立者は、明治時代謎の人物より「仙手剣」なる剣法を授かったのだといわれている。宮本武蔵の二天一流など比較にならない、とてもおよびじゃない、究極の剣法であると関係者は自負しているのだ。明治の気骨者である創立者は教育に「仙手剣」の精神を施す責務を痛感し、日暮れて道遠く99才にしてようやく学校創立にこぎつけることができたのであった。それだけに昭和の戦後に「奇龍高校」が凛として存在しているのは、一輪の華麗な花が咲いたようでもあり、その美しい輝きは希望をもたらすが如くである。
2010年02月08日
2010年02月03日
秘宙記 2
世界の破滅を覚悟しているのか、待ち望んでいるのか。今はただ、行けるとこまで行くしかないというのだろうか。全く痛み止めの注射も限界に近づいているというほかはないのだ。そうとわかっていても誰も手がつけられない。あきらめるしかないのか。結局、人々は何をか待つしかないのだろう。「待てば海路の日和あり」――か?
「とにかくものすご〜いサバイバルの時代になったもんだな」
今年の夏は例年になく猛暑だ。首都・東京はヒートアイランド現象により焦げ付きそうである。大都会に明日はない。何が起こっても不思議はないだろう。
地球は、その温暖化により大規模な気候変動が顕著になっていた。実に北極南極の氷が解け始め、大海に浮かぶ小島が次々と消えかかっているのである。一気に氷解すれば東京あたりは海の底だろう。そうとわかっていても人類は、文明の破壊的側面に抗し難く屈指ざるを得ないように思える。 人間誰しも死にたくはない。なのに他人事のように神経が麻痺し、誰かなんとかしてくれるだろう、するだろう。という気持ちが強いのかもしれない。
「生への執着」それが人間の本質。
人類の「生」に対する執着は人間社会の「皮肉」を助長し、かくして私利滅裂な状況を生じ、自分の首を自分で絞めていたことに気づくことになるのである。
わが世を謳歌するアメリカは世界が取り組む二酸化炭素削減計画に同調するのをやめやがった。せっかく地球のことを考えてこのおれがアメリカに代わってリーダーシップをとろうと思ったのにだ……? まずは先のことより今が優先だ。現状の経済産業運営に支障をきたすのは承服し難い。作為的にひびを入れるようなもので、それですべてぶち壊しになったら元も子もないだろう。二酸化炭素なんぞ、その時になったらその時なんとかしたら良いのだ。そのうちこのアメリカ様が救世の科学策を編み出してやるともよ。例えば、二酸化炭素を一気に解消してしまうミサイルなんかどうだ。―― とかなんとか考えているんじゃないだろうな。人類は自然を保護することに積極的であるべきであろう。まちがって核戦争でもおっ始めるものなら大気汚染も甚だしく、取り返しがつかないことになるというものだ。哀しいかな、先がわからないから現在に固執するしかないのだろう。今こうすれば明日は必ず好くなるという保証はないのだ。博打なんぞできるもんじゃない。
果たして地球と人類の運命はいかに――。
「とにかくものすご〜いサバイバルの時代になったもんだな」
今年の夏は例年になく猛暑だ。首都・東京はヒートアイランド現象により焦げ付きそうである。大都会に明日はない。何が起こっても不思議はないだろう。
地球は、その温暖化により大規模な気候変動が顕著になっていた。実に北極南極の氷が解け始め、大海に浮かぶ小島が次々と消えかかっているのである。一気に氷解すれば東京あたりは海の底だろう。そうとわかっていても人類は、文明の破壊的側面に抗し難く屈指ざるを得ないように思える。 人間誰しも死にたくはない。なのに他人事のように神経が麻痺し、誰かなんとかしてくれるだろう、するだろう。という気持ちが強いのかもしれない。
「生への執着」それが人間の本質。
人類の「生」に対する執着は人間社会の「皮肉」を助長し、かくして私利滅裂な状況を生じ、自分の首を自分で絞めていたことに気づくことになるのである。
わが世を謳歌するアメリカは世界が取り組む二酸化炭素削減計画に同調するのをやめやがった。せっかく地球のことを考えてこのおれがアメリカに代わってリーダーシップをとろうと思ったのにだ……? まずは先のことより今が優先だ。現状の経済産業運営に支障をきたすのは承服し難い。作為的にひびを入れるようなもので、それですべてぶち壊しになったら元も子もないだろう。二酸化炭素なんぞ、その時になったらその時なんとかしたら良いのだ。そのうちこのアメリカ様が救世の科学策を編み出してやるともよ。例えば、二酸化炭素を一気に解消してしまうミサイルなんかどうだ。―― とかなんとか考えているんじゃないだろうな。人類は自然を保護することに積極的であるべきであろう。まちがって核戦争でもおっ始めるものなら大気汚染も甚だしく、取り返しがつかないことになるというものだ。哀しいかな、先がわからないから現在に固執するしかないのだろう。今こうすれば明日は必ず好くなるという保証はないのだ。博打なんぞできるもんじゃない。
果たして地球と人類の運命はいかに――。
2010年01月27日
秘宙記 1
【秘宙記の主な登場人物】
逢題 旋(ほうだいせん)=古密綸人(ふるみつりんと)〜この物語の主人公。ある日突然、竜巻に襲撃された高校二年の古密綸人は 宇球世界の逢題旋に魂がワープしてしまった。あげくのはて宇球世界 の「統霊警察機構」という組織に「仙能者」としてスカウトされ、その一員となってしまう。
式富にん(しきとみにん)〜「統霊警察機構」のメンバー。 驚愕の「鏡術」の使い手。旋と同い年の女子高生。
鑰元寿貫(かぎもとじゅかん)〜「統霊警察機構」のスカウトマン。齢80を過ぎた老人。
柵列一誠(さくれついっせい)〜「統霊警察機構」大陽本帝国支部の参謀・ナンバー2。39歳。
法道 凱(ほうどうがい)〜「統霊警察機構」大陽本帝国支部の司令官。45歳。
霧條圧摩(むじょうあつま)〜裏社会に君臨する野望を抱く。高校二年。
直田級風(なおったきゅうふう)〜気功闘法家。長髪が似合う精悍な美青年。33才。
多部泰雲(たべたいうん)〜謎の老人。
直集覧安静(じきしゅうらんあんせい)〜噂の救世王?
剣本弦円(つるもとげんえん)〜九天門会(きゅうてんもんかい)・会長。直集覧安静と同一人物なのか。年齢不詳。
教主ヌタン〜宇球世界の暗黒支配をたくらむ「宇宙崇魔団」の教主。年齢不詳。
大魔王ゴッタン・マシューンダル〜神に対抗する存在。
1.日本
20XX年夏。8月15日―― 終戦記念日がまた日本に訪れようとしていた。街には失業者が溢れ、日本経済はデフレスパイラルの真只中にあった。相変わらず国家予算の半分は借金で
穴埋めし、財政赤字は減るどころか増加の一途をたどり、税金の使い方を知らぬ政治家官僚の
無神経ぶりは将来の国民生活の不安を煽り立てているようであった。庶民は不幸だ。かわいそう
この上なしだ。
日本という国家、日本人という民族。何の意味があるのか。ただ我々にとって、「未成熟」が救いであった。人々は未成熟のままに行動し、興奮し、わけのわからぬままに完結した。その完結は失望的な屈辱的な負けではあった。だが、なんとか日本はいまだに存続している。凄まじい代償を払ったというのだろうか。この国に対して日本国民はすっかり惰性的になってしまったというほかはあるまい。
経済大国などともてはやされているが、実態はむなしいものだ。いったいどこへ向かっているというのだろうか、日本と日本人は――。
逢題 旋(ほうだいせん)=古密綸人(ふるみつりんと)〜この物語の主人公。ある日突然、竜巻に襲撃された高校二年の古密綸人は 宇球世界の逢題旋に魂がワープしてしまった。あげくのはて宇球世界 の「統霊警察機構」という組織に「仙能者」としてスカウトされ、その一員となってしまう。
式富にん(しきとみにん)〜「統霊警察機構」のメンバー。 驚愕の「鏡術」の使い手。旋と同い年の女子高生。
鑰元寿貫(かぎもとじゅかん)〜「統霊警察機構」のスカウトマン。齢80を過ぎた老人。
柵列一誠(さくれついっせい)〜「統霊警察機構」大陽本帝国支部の参謀・ナンバー2。39歳。
法道 凱(ほうどうがい)〜「統霊警察機構」大陽本帝国支部の司令官。45歳。
霧條圧摩(むじょうあつま)〜裏社会に君臨する野望を抱く。高校二年。
直田級風(なおったきゅうふう)〜気功闘法家。長髪が似合う精悍な美青年。33才。
多部泰雲(たべたいうん)〜謎の老人。
直集覧安静(じきしゅうらんあんせい)〜噂の救世王?
剣本弦円(つるもとげんえん)〜九天門会(きゅうてんもんかい)・会長。直集覧安静と同一人物なのか。年齢不詳。
教主ヌタン〜宇球世界の暗黒支配をたくらむ「宇宙崇魔団」の教主。年齢不詳。
大魔王ゴッタン・マシューンダル〜神に対抗する存在。
1.日本
20XX年夏。8月15日―― 終戦記念日がまた日本に訪れようとしていた。街には失業者が溢れ、日本経済はデフレスパイラルの真只中にあった。相変わらず国家予算の半分は借金で
穴埋めし、財政赤字は減るどころか増加の一途をたどり、税金の使い方を知らぬ政治家官僚の
無神経ぶりは将来の国民生活の不安を煽り立てているようであった。庶民は不幸だ。かわいそう
この上なしだ。
日本という国家、日本人という民族。何の意味があるのか。ただ我々にとって、「未成熟」が救いであった。人々は未成熟のままに行動し、興奮し、わけのわからぬままに完結した。その完結は失望的な屈辱的な負けではあった。だが、なんとか日本はいまだに存続している。凄まじい代償を払ったというのだろうか。この国に対して日本国民はすっかり惰性的になってしまったというほかはあるまい。
経済大国などともてはやされているが、実態はむなしいものだ。いったいどこへ向かっているというのだろうか、日本と日本人は――。
2009年12月17日
その9
「マスメディアは相当、春紋さんを意識しているというのが如実に伝わってきますね。この空気はかなり重い……」
複雑なおももちで腕を組んで、梅福は思案げに眉を寄せた。
「メディア幻術、敗れたり!、だ。テレビは民衆を誘惑するツールでしかない。来い来いー、と誘い込んで洗脳し、人を操作しようとしている。サタンの俘囚は神の側の人の情報をタダで入手し、しかもずうずうしくもそれをおのがものにし、すり替えてしまうメソッドそのものなのだよ、梅福君。しかし、サタンの幻術は
この私によって、破られる運命でしかなかったがね」
いささか能天気なところがある書堂春紋が自信ありげに言い放った。
「マスコミの都合の良いところは、「情報」を商売、金儲けの道具にすることができるということである。が、それが真の目的ではない。「神」に対して敵愾心に燃えるサタンは「神」を信仰する人間を呪った。また人間の中に神を見いだすことのできる者がいるため、その者の情報を収集搾取し、栄養を吸収し、すり替え、ついにはその者を追い詰め、社会的に葬ることを主眼としているのである。だからサタンに
操られる人間ゆえに、私に挨拶もせず私の了解も得ず勝手に事を進めることができるものだと思い込んでしまい、ただ大衆を欺く能力が発達した人間と化してしまうのである。「目的」のために実力のある者を徹底的に活用し、その者が権力的にヤツラを追い払わないうちに、ヤツラは実力者を排斥追放する手段に出るのである。これは今も昔も変わらない人界の法則なのである。諸君はよくこの哲理をわきまえて行動しなければならない。やられる前にやるのが一番良いわけだが、なかなかヤツラは計算高く、タイミングをみはかるのが恐ろしくうまい。それは超能力に近い。
それに妖魔はとにかくガチャガチャグチャグチャしないと気がすまないものなのである。つまりは「世騒がせ作戦」に徹しているということだ。例えば、意外と「選挙」が利用されている。良く観察してみれば、ほとんど毎年にように市議会選挙やら、市長選挙、県会議員選挙・知事選挙、それに加えとどめは国政選挙とひきもきらない。うるさくてしようがないと不快がるのは私だけだろうか? またスポーツ行事もそうだ。プロ野球、サッカー、バレーボール、マラソン、ゴルフ等々。とどめはオリンピック、W杯だ。
妖魔は世騒がせの題材を血眼になって探しまくっていることを肝に銘じて世人は活動すべきである。
読売巨人はこの私によってその正体を暴露され、手段を選ばず勝つことだけに執着する異様な球団に変貌した。「巨人=サタン」がいよいよ日本社会を破壊しまくりはじめたのだ。読売はマスコミはキリスト教色の強い「西洋星占い」が相当好きならしく、好きで好きでたまらないらしく意識過剰というほかはない。キリスト教信者でもなんでもない私からすればたいしたシロモノではないが。土星サタンの山羊座が読売巨人軍の該当星座だが、火星マルス=ミカエルのおひつじ座の選手をコレクションしている。まさにコンプレックスのあらわれである。牡羊座生まれは読売とは距離を置くことが肝要である。■マスコミの動きを見ているとやはりマスコミはサタンの俘囚であるということを痛感する。例えば本年はみずがめ座に当たり、ノリピーはその水瓶座生まれだが、事件が世間を大いににぎわせ、水瓶座の年を傷をつけたように、こういう作戦に打って出て来る奴等なのである。●嘘か真か、イエス・キリストが山羊座生まれというのも面白い話だ。
◇五方式数字列界
☆この日本国に西洋星占いが入り込み、今では自然に国民は受け容れてしまっている。ジュピター、マース、アポロンなどの神々と日本固有の神々との関係など知る由もないが、奇妙な現象ではなかろうか? 我輩は面白半分に「数字」なるものが、この十二星座となにか関係があるのではないかと疑い、1という数字には何座、2という数字には何座とあてはめてみたことがある。
こう考えたのも「姓名判断」の数字に関心を覚えたからなのだが、自己中心的な我輩は、自分自身が生まれた年、1958年は蠍座であったため、これを数字の「0」にあたはめ、以降順次、満一歳の年は射手座にあたり、1は射手座、2は山羊座、3は水瓶座……、という具合に決め付けたという次第である。数字が大きくなるにつれ、勢いもなくなっていくという説があるが、姓名判断の数字
の吉凶の解説を読んでも50以上は良い数字があるわけでもないようだ。また、我輩は、ひとつの数字は単純なものではなく、多角的多面的要素があるとにらんだ。つまり、例えば、1という数字には、射手座だけではなく、他の残りの11星座も入っているという観測である。では、12星座がいかなる関係で同居しているのか、我輩は我輩なりの法則をここにまとめてみたので、諸君も参考にしてみたらよかろう。
ちなみにまだまだ研究の余地はあるので、この法則は変わる可能性がある。
我輩としてはお遊び程度のものであるわけで、数字が十二星座に占領された印象は拭わねばならないが、日本的法則も発見され次第、発表したいと思っている。
◇優先順位表
☆【1】〜@射手―A双子―B乙女―C魚―D牡羊―E獅子―F天秤―G水瓶―H山羊
―I雄牛―J蟹―K蠍
☆【2】〜@山羊―A蟹―B牡羊―C天秤―D牡牛―E乙女―F魚―G蠍―H獅子
―I射手―J水瓶―K双子
☆【3】〜@水瓶―A獅子―B蠍―C牡牛―D双子―E天秤―F牡羊―G射手―H魚
―I蟹―J乙女―K山羊
☆【4】〜@魚―A乙女―B双子―C射手―D蟹―E蠍―F牡牛―G山羊―H天秤
―I水瓶―J牡羊―K獅子
☆【5】〜@牡羊―A天秤―B山羊―C蟹―D獅子―E射手―F双子―G水瓶―H牡牛
―I乙女―J蠍―魚
☆【6】〜@牡牛―A蠍―B獅子―C水瓶―D乙女―E山羊―F蟹―G魚―H射手
―I牡羊―J双子―K天秤
☆【7】〜@双子―A射手―B魚―C乙女―D天秤―E水瓶―F獅子―G牡羊―H蟹
―I蠍―J山羊―K牡牛
☆【8】〜@蟹―A山羊―B天秤―C牡羊―D蠍―E魚―F乙女―G牡牛―H水瓶
―I双子―J獅子―K射手
☆【9】〜@獅子―A水瓶―B牡牛―C蠍―D射手―E牡羊―F天秤―G双子―H乙女
―I山羊―J魚―K蟹
☆【10】〜@乙女―A魚―B射手―C双子―D山羊―E牡牛―F蠍―G蟹―H牡羊
―I獅子―J天秤―K水瓶
☆【11】〜@天秤―A牡羊―B蟹―C山羊―D水瓶―E双子―F射手―G獅子―H蠍
―I魚―J牡牛―K乙女
☆【12】〜@蠍―A牡牛―B水瓶―C獅子―D魚―E蟹―F山羊―G乙女―H双子
―I天秤―J射手―K牡羊
◆13以降は1からと同じとなる。
◇数列十二星座
複雑なおももちで腕を組んで、梅福は思案げに眉を寄せた。
「メディア幻術、敗れたり!、だ。テレビは民衆を誘惑するツールでしかない。来い来いー、と誘い込んで洗脳し、人を操作しようとしている。サタンの俘囚は神の側の人の情報をタダで入手し、しかもずうずうしくもそれをおのがものにし、すり替えてしまうメソッドそのものなのだよ、梅福君。しかし、サタンの幻術は
この私によって、破られる運命でしかなかったがね」
いささか能天気なところがある書堂春紋が自信ありげに言い放った。
「マスコミの都合の良いところは、「情報」を商売、金儲けの道具にすることができるということである。が、それが真の目的ではない。「神」に対して敵愾心に燃えるサタンは「神」を信仰する人間を呪った。また人間の中に神を見いだすことのできる者がいるため、その者の情報を収集搾取し、栄養を吸収し、すり替え、ついにはその者を追い詰め、社会的に葬ることを主眼としているのである。だからサタンに
操られる人間ゆえに、私に挨拶もせず私の了解も得ず勝手に事を進めることができるものだと思い込んでしまい、ただ大衆を欺く能力が発達した人間と化してしまうのである。「目的」のために実力のある者を徹底的に活用し、その者が権力的にヤツラを追い払わないうちに、ヤツラは実力者を排斥追放する手段に出るのである。これは今も昔も変わらない人界の法則なのである。諸君はよくこの哲理をわきまえて行動しなければならない。やられる前にやるのが一番良いわけだが、なかなかヤツラは計算高く、タイミングをみはかるのが恐ろしくうまい。それは超能力に近い。
それに妖魔はとにかくガチャガチャグチャグチャしないと気がすまないものなのである。つまりは「世騒がせ作戦」に徹しているということだ。例えば、意外と「選挙」が利用されている。良く観察してみれば、ほとんど毎年にように市議会選挙やら、市長選挙、県会議員選挙・知事選挙、それに加えとどめは国政選挙とひきもきらない。うるさくてしようがないと不快がるのは私だけだろうか? またスポーツ行事もそうだ。プロ野球、サッカー、バレーボール、マラソン、ゴルフ等々。とどめはオリンピック、W杯だ。
妖魔は世騒がせの題材を血眼になって探しまくっていることを肝に銘じて世人は活動すべきである。
読売巨人はこの私によってその正体を暴露され、手段を選ばず勝つことだけに執着する異様な球団に変貌した。「巨人=サタン」がいよいよ日本社会を破壊しまくりはじめたのだ。読売はマスコミはキリスト教色の強い「西洋星占い」が相当好きならしく、好きで好きでたまらないらしく意識過剰というほかはない。キリスト教信者でもなんでもない私からすればたいしたシロモノではないが。土星サタンの山羊座が読売巨人軍の該当星座だが、火星マルス=ミカエルのおひつじ座の選手をコレクションしている。まさにコンプレックスのあらわれである。牡羊座生まれは読売とは距離を置くことが肝要である。■マスコミの動きを見ているとやはりマスコミはサタンの俘囚であるということを痛感する。例えば本年はみずがめ座に当たり、ノリピーはその水瓶座生まれだが、事件が世間を大いににぎわせ、水瓶座の年を傷をつけたように、こういう作戦に打って出て来る奴等なのである。●嘘か真か、イエス・キリストが山羊座生まれというのも面白い話だ。
◇五方式数字列界
☆この日本国に西洋星占いが入り込み、今では自然に国民は受け容れてしまっている。ジュピター、マース、アポロンなどの神々と日本固有の神々との関係など知る由もないが、奇妙な現象ではなかろうか? 我輩は面白半分に「数字」なるものが、この十二星座となにか関係があるのではないかと疑い、1という数字には何座、2という数字には何座とあてはめてみたことがある。
こう考えたのも「姓名判断」の数字に関心を覚えたからなのだが、自己中心的な我輩は、自分自身が生まれた年、1958年は蠍座であったため、これを数字の「0」にあたはめ、以降順次、満一歳の年は射手座にあたり、1は射手座、2は山羊座、3は水瓶座……、という具合に決め付けたという次第である。数字が大きくなるにつれ、勢いもなくなっていくという説があるが、姓名判断の数字
の吉凶の解説を読んでも50以上は良い数字があるわけでもないようだ。また、我輩は、ひとつの数字は単純なものではなく、多角的多面的要素があるとにらんだ。つまり、例えば、1という数字には、射手座だけではなく、他の残りの11星座も入っているという観測である。では、12星座がいかなる関係で同居しているのか、我輩は我輩なりの法則をここにまとめてみたので、諸君も参考にしてみたらよかろう。
ちなみにまだまだ研究の余地はあるので、この法則は変わる可能性がある。
我輩としてはお遊び程度のものであるわけで、数字が十二星座に占領された印象は拭わねばならないが、日本的法則も発見され次第、発表したいと思っている。
◇優先順位表
☆【1】〜@射手―A双子―B乙女―C魚―D牡羊―E獅子―F天秤―G水瓶―H山羊
―I雄牛―J蟹―K蠍
☆【2】〜@山羊―A蟹―B牡羊―C天秤―D牡牛―E乙女―F魚―G蠍―H獅子
―I射手―J水瓶―K双子
☆【3】〜@水瓶―A獅子―B蠍―C牡牛―D双子―E天秤―F牡羊―G射手―H魚
―I蟹―J乙女―K山羊
☆【4】〜@魚―A乙女―B双子―C射手―D蟹―E蠍―F牡牛―G山羊―H天秤
―I水瓶―J牡羊―K獅子
☆【5】〜@牡羊―A天秤―B山羊―C蟹―D獅子―E射手―F双子―G水瓶―H牡牛
―I乙女―J蠍―魚
☆【6】〜@牡牛―A蠍―B獅子―C水瓶―D乙女―E山羊―F蟹―G魚―H射手
―I牡羊―J双子―K天秤
☆【7】〜@双子―A射手―B魚―C乙女―D天秤―E水瓶―F獅子―G牡羊―H蟹
―I蠍―J山羊―K牡牛
☆【8】〜@蟹―A山羊―B天秤―C牡羊―D蠍―E魚―F乙女―G牡牛―H水瓶
―I双子―J獅子―K射手
☆【9】〜@獅子―A水瓶―B牡牛―C蠍―D射手―E牡羊―F天秤―G双子―H乙女
―I山羊―J魚―K蟹
☆【10】〜@乙女―A魚―B射手―C双子―D山羊―E牡牛―F蠍―G蟹―H牡羊
―I獅子―J天秤―K水瓶
☆【11】〜@天秤―A牡羊―B蟹―C山羊―D水瓶―E双子―F射手―G獅子―H蠍
―I魚―J牡牛―K乙女
☆【12】〜@蠍―A牡牛―B水瓶―C獅子―D魚―E蟹―F山羊―G乙女―H双子
―I天秤―J射手―K牡羊
◆13以降は1からと同じとなる。
◇数列十二星座
2009年12月08日
その8
高層ホテルの最上階の一室で齢80を過ぎた、その顔の皺の線が恐ろしく目立つ老人とその配下の者である60才ぐらいのはげ頭の男が話しこんでいる。老人の名は口先茸耗一郎(くちさきだけもういちろう)といい、マスコミ界、政界、財界に幅広い人脈を持ち、影の総理と人は呼んでいる。その配下の者の名は、泥協邦義盗治郎(どろきょうくによしとうじろう)という。
「書堂春紋、あなどれんヤツだ。アヤツの小説を読んだ者がいまや世界中に多くいる。ワシチャマも読んだが、かなりの難敵だということがよくわかった。まだあの小説が理解できる者はほとんどいないだろうが、マスコミを使って大衆をヤツから遠ざけるしかないというものよ、泥協」
口先茸は自分のことをワシチャマというのが癖になっている。ワイングラスで焼酎を飲みながら不機嫌そうに言った。
「ヤツは徹底的にマスコミを攻撃してきています。とにかくマスメディアに疑念を抱いていて流れを変えようとしているのがみてとれます。われわれもそれなりに春紋を封じるべく動いてはいますが……」
「民放はもとより新聞社は広告収入がないとやっていけないということに春紋に目をつけられてしまった。さすがというほかはないとワシチャマはつくづく思ったわい。民間企業の景気にいいところにスポンサー依頼していればそれで十分のムシがよすぎる非生産的企業だが、これほど世の中の不景気がメディアに打撃を与えるとは思いもよらぬほど危機的状況に陥ってしまった。春紋はマスコミの押し紙などの反則行為を強調し、民間企業から高額な宣伝料金を搾取させないようにする作戦にうってでてきた。実にヤバイ。ヤバヤバヤバ〜、ヤバイダニ」
口先茸はたまに語尾に「ダニ」をつける癖がある。ダニ根性に徹しているためなのかもしれない。
「確かに。テレビ局はNHKのように有料にした方がいいかもしれませんね。新聞はインターネットによって隅っこに追いやられるでしょう。若者が新聞を読まなくなってしまったし、お先真っ暗というもんでしょう」
禿げ頭の泥協は右頭部にひび割れた傷のようなものがあり、左頭部には瘤がある。その瘤を左手でなでながら言った。
マスコミの真骨頂はマインドコントロール(人を騙すこと)にある。一番いい例がプロ野球巨人野球である。これによってメディアは潤ってきたきといってもいいだろう。ところが、春紋の大いなる指摘によって、多くの若者が巨人、プロ野球に関心を示さなくなってしまった。これまで騙しつづけてきたメディアの苦労が水の泡になりつつあるのだ。
プロ野球選手などは、その野球さえ知らない単細胞な人種と見下されているわけで、マスコミの術中にいとも簡単に乗せられてしまう。春紋のブログや小説を読んでいる者なら変だと悟るだろう。日本ハムがパリーグ最強球団というのも違和感大有りだ。北海道で人気があるのもなんかイカサマ臭い。春紋はテレビ朝日は嫌いだと云っているのに、どこ吹く 風で、日本語がわからんようだ。ほとんどマスコミ主動野球で、全マスコミは読売巨人を勝たせるために暗躍している。巨人に勝つ球団、ロッテ、西武は徹底的 に叩かれる。すぐ有力選手を追い出そうとする。巨人に勝つことのないヤクルト、横浜、日本ハム、楽天、ソフトバンク、オリックス等を使って阪神、中日、 ロッテ、西武を排撃することを唯一の楽しみとしているのである。この傾向に対して国民プロ野球ファンは誰も異を唱える正気の者はいないのだから、マスコミ のマインドコントロールが浸透していることに実に危機感を覚える。
「書堂春紋、あなどれんヤツだ。アヤツの小説を読んだ者がいまや世界中に多くいる。ワシチャマも読んだが、かなりの難敵だということがよくわかった。まだあの小説が理解できる者はほとんどいないだろうが、マスコミを使って大衆をヤツから遠ざけるしかないというものよ、泥協」
口先茸は自分のことをワシチャマというのが癖になっている。ワイングラスで焼酎を飲みながら不機嫌そうに言った。
「ヤツは徹底的にマスコミを攻撃してきています。とにかくマスメディアに疑念を抱いていて流れを変えようとしているのがみてとれます。われわれもそれなりに春紋を封じるべく動いてはいますが……」
「民放はもとより新聞社は広告収入がないとやっていけないということに春紋に目をつけられてしまった。さすがというほかはないとワシチャマはつくづく思ったわい。民間企業の景気にいいところにスポンサー依頼していればそれで十分のムシがよすぎる非生産的企業だが、これほど世の中の不景気がメディアに打撃を与えるとは思いもよらぬほど危機的状況に陥ってしまった。春紋はマスコミの押し紙などの反則行為を強調し、民間企業から高額な宣伝料金を搾取させないようにする作戦にうってでてきた。実にヤバイ。ヤバヤバヤバ〜、ヤバイダニ」
口先茸はたまに語尾に「ダニ」をつける癖がある。ダニ根性に徹しているためなのかもしれない。
「確かに。テレビ局はNHKのように有料にした方がいいかもしれませんね。新聞はインターネットによって隅っこに追いやられるでしょう。若者が新聞を読まなくなってしまったし、お先真っ暗というもんでしょう」
禿げ頭の泥協は右頭部にひび割れた傷のようなものがあり、左頭部には瘤がある。その瘤を左手でなでながら言った。
マスコミの真骨頂はマインドコントロール(人を騙すこと)にある。一番いい例がプロ野球巨人野球である。これによってメディアは潤ってきたきといってもいいだろう。ところが、春紋の大いなる指摘によって、多くの若者が巨人、プロ野球に関心を示さなくなってしまった。これまで騙しつづけてきたメディアの苦労が水の泡になりつつあるのだ。
プロ野球選手などは、その野球さえ知らない単細胞な人種と見下されているわけで、マスコミの術中にいとも簡単に乗せられてしまう。春紋のブログや小説を読んでいる者なら変だと悟るだろう。日本ハムがパリーグ最強球団というのも違和感大有りだ。北海道で人気があるのもなんかイカサマ臭い。春紋はテレビ朝日は嫌いだと云っているのに、どこ吹く 風で、日本語がわからんようだ。ほとんどマスコミ主動野球で、全マスコミは読売巨人を勝たせるために暗躍している。巨人に勝つ球団、ロッテ、西武は徹底的 に叩かれる。すぐ有力選手を追い出そうとする。巨人に勝つことのないヤクルト、横浜、日本ハム、楽天、ソフトバンク、オリックス等を使って阪神、中日、 ロッテ、西武を排撃することを唯一の楽しみとしているのである。この傾向に対して国民プロ野球ファンは誰も異を唱える正気の者はいないのだから、マスコミ のマインドコントロールが浸透していることに実に危機感を覚える。
2009年11月24日
その7
「テレビ朝日、フジテレビ、読売日本テレビを視聴して感じるのは、在日人間の影響力が強いのではないかと勘ぐるわけよ。在日でも好感の持てる者も少なくないが、総じて在日韓国人朝鮮人は、この私を日本人の中の日本人と見ているような気がしてならんのである。戦争のトラウマとかで敵意を燃やせるような男ではないがね。日本の中にもゆかりの国会議員などを使って、私を保守系に組み込んで、維新政府側の人間にして失敗面での責任をなすりつけようとしているだけとしか思えないだろ、梅福君。だが、一理あるというか、神域の話に触れる事であろうから、あながち、明治維新とは無縁とはいえない者なのかもしれない。こんなことを云うとこれまでの言い分が矛盾に思えるだろうが、一般人にとっては矛盾であっても、私という存在は、俗世間が徳川幕府時代であろうとも明治維新以降の世の中でも、山や海や空は変わらずそのままあり続けるのと同じようなものなのである。人間俗社会の通念、秩序、哲理が通用しない、というか超越した存在が世界を動かしうるのだ」
春紋のテンションは最高潮? なんだか自分に酔いしれているともみえなくない。血圧は高いほうなので、名図美が春紋の肩をもんでリラックスさせようとしている。
「 敵方は私に中傷誹謗を浴びせるが、その実は私を世界の中心と信じているのである。それは、私のツキを落とそうと躍起になるのだが、自分たちのツキは落ちないものだと安心しているのだ。それは甘い考えだと否定せねばならん。このことが広く世間に知られれば、その効力はなくなるであろう。だいたいそんなことばかり考えていれば、まともな仕事、生活はできなくなるだろう。とにかく私の悪口を言うヤツに限って裏では熱心に私の小説を熟読したりして研究しているものだ。私の力を他者に知られたくないためでもある。善良なる人は奴等の言動に惑わされず、油断しないことである。一見、まともな社会生活をおくっている者でも、もし私を踏み台にしていい思いをしているならば、人の道とはいえないというものであろう。
人間というものはメシを喰うために生存しているのか、生存するためにメシを喰うのか、まこと不具合な生き物である。命イコールメシというゆるぎなき公式は、現実界の社会権力者の支配論理を強固なものにしている。支配階級はいまだに諸人を原始人と見ているのか? メシ(食事)を与えれば、それで十分だと考える。今の時代はメシを喰う=衣・食・住(生活)というものだ。ただ食事だけでは、息をすることはできても、お金が入ってこなければ税金も払えんし、車のガソリン代も払えんではないか。なぜか今日も料理作業をしているのである。
ま、ま、まさか、人間には「神」の側の霊系とそうでない霊系があるというのであろうか。「神」の側の人間はそうでない連中に翻弄されるだけなのか。絶対不利の環境の中で、悪神プログラムコントロール、それは巨大な「呪い」であるが、それを打ち破るべく戦わなければならないのである。思うに「神」の側にとっては楽なものではない。人間は楽をしたい生き物であるから、なるべく楽な側につく習性があるのではないか。端的に表れるのが勝負の世界、強い側につけば、勝利の美酒とやらを味わえる確率も高くなるから、それだけいい思いをすることができ、それがまた幸福ということになるのであろう。ただ人間には「霊的絆」というものがあるらしく、同志的闘いを好む人々が意外と多いといえるかもしれないのである。
社会が複雑化するにつれ、法律至上主義的傾向が強くなるのだろうか。はたから見れば、法律に違反していないからとかなんとか言い訳するが、ちとみみっちいんじゃないの? 法の隙間をついてボロ儲けているヤツ、アコギなヤツがどれほど多いことか。こういう輩が増え、法律はますます細分化されていく。これも時代の流れなのだろうが、イタチごっこにならざるを得ないが、あまり法律、法律と人を縛るのも良くないだろう。安心して息ができなくなっちゃよ。弾力性、融通性のある世の中が望ましい。「法」とは何なのか。倫理観、道徳心、人間の尊厳、霊的尊厳で対処するのが人間関係なのだろう。なにはともあれ「凶悪犯罪者」に笑われる社会にはしないことが一番だ。巨悪を斬れ。さっさと斬れ、とにかく斬れ。
春紋のテンションは最高潮? なんだか自分に酔いしれているともみえなくない。血圧は高いほうなので、名図美が春紋の肩をもんでリラックスさせようとしている。
「 敵方は私に中傷誹謗を浴びせるが、その実は私を世界の中心と信じているのである。それは、私のツキを落とそうと躍起になるのだが、自分たちのツキは落ちないものだと安心しているのだ。それは甘い考えだと否定せねばならん。このことが広く世間に知られれば、その効力はなくなるであろう。だいたいそんなことばかり考えていれば、まともな仕事、生活はできなくなるだろう。とにかく私の悪口を言うヤツに限って裏では熱心に私の小説を熟読したりして研究しているものだ。私の力を他者に知られたくないためでもある。善良なる人は奴等の言動に惑わされず、油断しないことである。一見、まともな社会生活をおくっている者でも、もし私を踏み台にしていい思いをしているならば、人の道とはいえないというものであろう。
人間というものはメシを喰うために生存しているのか、生存するためにメシを喰うのか、まこと不具合な生き物である。命イコールメシというゆるぎなき公式は、現実界の社会権力者の支配論理を強固なものにしている。支配階級はいまだに諸人を原始人と見ているのか? メシ(食事)を与えれば、それで十分だと考える。今の時代はメシを喰う=衣・食・住(生活)というものだ。ただ食事だけでは、息をすることはできても、お金が入ってこなければ税金も払えんし、車のガソリン代も払えんではないか。なぜか今日も料理作業をしているのである。
ま、ま、まさか、人間には「神」の側の霊系とそうでない霊系があるというのであろうか。「神」の側の人間はそうでない連中に翻弄されるだけなのか。絶対不利の環境の中で、悪神プログラムコントロール、それは巨大な「呪い」であるが、それを打ち破るべく戦わなければならないのである。思うに「神」の側にとっては楽なものではない。人間は楽をしたい生き物であるから、なるべく楽な側につく習性があるのではないか。端的に表れるのが勝負の世界、強い側につけば、勝利の美酒とやらを味わえる確率も高くなるから、それだけいい思いをすることができ、それがまた幸福ということになるのであろう。ただ人間には「霊的絆」というものがあるらしく、同志的闘いを好む人々が意外と多いといえるかもしれないのである。
社会が複雑化するにつれ、法律至上主義的傾向が強くなるのだろうか。はたから見れば、法律に違反していないからとかなんとか言い訳するが、ちとみみっちいんじゃないの? 法の隙間をついてボロ儲けているヤツ、アコギなヤツがどれほど多いことか。こういう輩が増え、法律はますます細分化されていく。これも時代の流れなのだろうが、イタチごっこにならざるを得ないが、あまり法律、法律と人を縛るのも良くないだろう。安心して息ができなくなっちゃよ。弾力性、融通性のある世の中が望ましい。「法」とは何なのか。倫理観、道徳心、人間の尊厳、霊的尊厳で対処するのが人間関係なのだろう。なにはともあれ「凶悪犯罪者」に笑われる社会にはしないことが一番だ。巨悪を斬れ。さっさと斬れ、とにかく斬れ。
2009年11月18日
その6
「さすがに春紋さんにこの社会システムは通用しませんでしたね。日本史上最大の天才である春紋さんを徳川方にして社会の方向性をわかりやすく単純化しようとしたためとしか私には思えません。春紋さんの「瑞名神波発揮」の威力は天下無双ということを知らないのだからどうにもなりませんね」
世間の人は書堂春紋のことを知らなさすぎると梅福は残念に思っているが、世間が認識することは革命的ともいえることだった。
「むっふふふふふふ、まあまあまあ、君が私の実力を信じてくれているのはうれしいが、ここだけの話なんだが、「瑞名神波発揮」は私の究極奥儀ではない。私としては究極奥義ではない以上は更なる飛躍を期して高みを目指さなければならんと思っているんだ」
「世の中、妖霊魔魂の輩がはばをきかせているような気がしますが――」
「やっかいなことになっときたと思っているんだよ。ヤツラはひらきなおってきたというか、私はとりつかれってしまったというほかはないね。例えば読売巨人軍だ。巨人の強さは、巨人ファンに便乗して勝っているだけのことなのだが、だいたいが高校勢力、高校対立軸によって動いているが、またそれが好きなんだよ、マスコミの連中は。この私が行動を起こすと、世の中は変化する。ツキも動くといっても過言ではないのだ。だから、この私の方に属す者と属さない者とに相対関係が生じ、都合主義によって私に属するモードから、私に属さないモードに転換・切り替えすることによって、影響を回避し、勝つことができるというわけなのだ。この私の反影反響が無効化されているということなのだ。まさに自分勝手な邪道主義と断定せざるを得ない。このようないいかげんな「邪道モード」に嵌ってしまうと、信用を失ってしまうのがふつうだ」
彼らに素直な人間として生きてもらいたいと春紋は願っている。
齢50にして49年の非を知る。ということばがあるが、人それぞれ人生の目標、目的を持って生きていると思うが、なかなか思い通りの結果を出せる者は少ないであろう。「究極奥儀」とは
私個人が定めた目標、究極奥儀と称すべき理念的最終到達点である。これは私が編み出したもので、神直伝でもなんでもない。私が求める「効力」のためにいろいろと薬成分を調合して、偶然に、奇跡的に「妙薬」ができたようなものなのかもしれない。これは私個人だけのものであり、
決して他者に相伝することもなければ、世間に伝わることもないので、全くの自己満足の世界である。これから私としてもいろいろ研究したい事があるわけで、死後の事はどうなるかわからんから、この世においては時間との戦いでもある。この世を去ってからも続けることのできる永久的探究に邂逅したといえるかもしれない。
時間空間のはざまに生きるわれわれ人間は、過去・現在・未来という概念を生み出した。時間とは、はたして何者なのか? 人間に時間の操作はできないというのか? 考えるに、時間とは土星のリングのようなものではないか?土星のリングは向きを持って動く、土星のまわりを回っている。過去から未来へと流れるように。そこへ外的要因として隕石などの障害物がリングを破損する場合もあり、その法則性を乱すことになる。時間は見えるものである。未来を透視できても、予定変更が起こってしまう場合もある。「時間」は円環視できるもの。それゆえ、過去・現在・未来を見通すことができても不思議ではない。しかし、視るはしてもその時に視たものは、おそらく暫定的なものにすぎず、それが確定するのは、その時になってみないとわからないのだ。なぜなら「神の介在、介入」という重大な要素が投げ入れられてしまうからである。
宇宙の法則は人間智の及ばないものであるが、人間の探究心も無限であろう。
世間の人は書堂春紋のことを知らなさすぎると梅福は残念に思っているが、世間が認識することは革命的ともいえることだった。
「むっふふふふふふ、まあまあまあ、君が私の実力を信じてくれているのはうれしいが、ここだけの話なんだが、「瑞名神波発揮」は私の究極奥儀ではない。私としては究極奥義ではない以上は更なる飛躍を期して高みを目指さなければならんと思っているんだ」
「世の中、妖霊魔魂の輩がはばをきかせているような気がしますが――」
「やっかいなことになっときたと思っているんだよ。ヤツラはひらきなおってきたというか、私はとりつかれってしまったというほかはないね。例えば読売巨人軍だ。巨人の強さは、巨人ファンに便乗して勝っているだけのことなのだが、だいたいが高校勢力、高校対立軸によって動いているが、またそれが好きなんだよ、マスコミの連中は。この私が行動を起こすと、世の中は変化する。ツキも動くといっても過言ではないのだ。だから、この私の方に属す者と属さない者とに相対関係が生じ、都合主義によって私に属するモードから、私に属さないモードに転換・切り替えすることによって、影響を回避し、勝つことができるというわけなのだ。この私の反影反響が無効化されているということなのだ。まさに自分勝手な邪道主義と断定せざるを得ない。このようないいかげんな「邪道モード」に嵌ってしまうと、信用を失ってしまうのがふつうだ」
彼らに素直な人間として生きてもらいたいと春紋は願っている。
齢50にして49年の非を知る。ということばがあるが、人それぞれ人生の目標、目的を持って生きていると思うが、なかなか思い通りの結果を出せる者は少ないであろう。「究極奥儀」とは
私個人が定めた目標、究極奥儀と称すべき理念的最終到達点である。これは私が編み出したもので、神直伝でもなんでもない。私が求める「効力」のためにいろいろと薬成分を調合して、偶然に、奇跡的に「妙薬」ができたようなものなのかもしれない。これは私個人だけのものであり、
決して他者に相伝することもなければ、世間に伝わることもないので、全くの自己満足の世界である。これから私としてもいろいろ研究したい事があるわけで、死後の事はどうなるかわからんから、この世においては時間との戦いでもある。この世を去ってからも続けることのできる永久的探究に邂逅したといえるかもしれない。
時間空間のはざまに生きるわれわれ人間は、過去・現在・未来という概念を生み出した。時間とは、はたして何者なのか? 人間に時間の操作はできないというのか? 考えるに、時間とは土星のリングのようなものではないか?土星のリングは向きを持って動く、土星のまわりを回っている。過去から未来へと流れるように。そこへ外的要因として隕石などの障害物がリングを破損する場合もあり、その法則性を乱すことになる。時間は見えるものである。未来を透視できても、予定変更が起こってしまう場合もある。「時間」は円環視できるもの。それゆえ、過去・現在・未来を見通すことができても不思議ではない。しかし、視るはしてもその時に視たものは、おそらく暫定的なものにすぎず、それが確定するのは、その時になってみないとわからないのだ。なぜなら「神の介在、介入」という重大な要素が投げ入れられてしまうからである。
宇宙の法則は人間智の及ばないものであるが、人間の探究心も無限であろう。
2009年11月16日
その5
光の増幅に「悪神プログラムコントロール」は呼応し、そのネットワークが暗躍する。日本の社会構造の奇矯さに気づいた。いったい誰が望んだのか日本人のモラルは低下、人心荒廃を招き日本は萎縮、収縮していくだけなのではないか?
「春紋さんは、つねづねテレビ・新聞を非難していますが、彼らにはほとんど無視されているようにしか見えませんが……」
久しぶりに視た海は梅福の多忙な心身を癒した。
「マスメディアによる私に対するスポーツ攻勢をなんとかして打破せねばならん。まったくとんでもねえ野郎どもだ。この私に金も払わずにタダで儲けようったってそうは問屋がおろさねえよ。自分の都合だけで私をないがしろにする罪は重大だ。そもそも世界戦・全日本代表クラスのスポーツイベントにいつも私が担ぎ出されているようで非常に不愉快だ。とにかく連中は私に頼りすがって戦えという作戦にみえる。こっちはH高校を勝たせるために躍起になっているのを知ってて、そうはさせないとばかりに妨害する奴らのくせに、どういうシンケイしているのかよくよくあつかましい人種だ」
書堂春紋の怒りはときどき天まで届き、天変地異を引き起こす場合があった。今の日本社会体制は、野球好きが考え出した、野球をうまく利用することを思いついた人間が構築したものであると春紋はみていた。明治維新政府の政治がはたして日本という国の舵取りをうまくできてきたのか?徳川幕府の亡霊をひきずって全体的なバランスを欠いていることは否めない。まつろわぬ人々を巨人野球に向かわせ、源氏封じを弄して政権を堅持するシステムはもはや限界である。源氏とは皇族と同族という意味である。鎌倉幕府の源頼朝、室町幕府の足利尊氏、江戸幕府の徳川家康(家康は賀茂氏という説がある)は、天皇に対して幕府政治に君臨し、極めて独立性、権力性が強く天皇の意向を反映することはかなわぬ者たちであった。それゆえ、源氏政治には大変なアレルギーを有しているといえるのである。徳川家康などはホントに源氏なのかどうなのかという怪しい人物のために源氏が愚弄されるのは疑問である。家康は民衆に「檀家制度」を定め、仏教王国を目指したわけだが、本地垂迹説に基づいて「本当は仏教の仏です(本地)が、日本では神道の神としてやってます(垂迹)」東照大権現であることを衆知させ、自ら日本人らしさをこばんでいる。今は本地垂迹説は消滅している。読売巨人野球空間はやっかい者たちを収容する施設、刑務所に近いかも。実際は、政権が読売をつくったわけで、別に政権を揺さぶる存在でもなんでもないのである。だから、NHK、朝日は自らの地盤を体制を固めために読売巨人を煽り立て褒めまくっているのである。
勝負事と商売・経済の関係法則を探ってみた。勝負事としてスポーツを例にとってみるとして、基本的に「勝ち」は商売にとって実質的には良い影響を与えるものとは思えない。例えばプロ野球球団の優勝にあやかっての感謝セールはその時だけの効果しかなく持続性は期待できないばかりか、かえってその反動の方が怖いような感じがするのではないだろうか? はやい話、「勝利の神」と「商売の神」の仲、関係が全体的なバランスを保っているのだが、この両神に同時に好かれるのは至難の業に近いといえる。好かれるのは書堂春紋ぐらいのものであろう。人はくれぐれも春紋の真似を無理してやるべきではない。これは人間業ではないからである。こういう春紋にあやかろうとしているのが、ソフトバンクや楽天ではないのか?今の日本国はスポーツ狂社会と化している。まさに細胞分裂を引き起こしているのだから、たまったもんじゃないっしょ〜。
日本の勝負世界(特にスポーツ)において、書堂春紋が最高権威の如く関係者に信じられてきたようであるが、誠に気の毒ながら、つまりは春紋に否定されてしまえば、その勝ちも意味がないようなもので、全くの名前だけ、ペーパー上の無味乾燥の骨折り損のくたびれ儲けと化すのである。もっとも記録(紙)に残るだけで満足する輩が多いのも確かだが、春紋に認められないのではまさに自慰的快感でしかないだろう。世界的中心人物である書堂春紋の承認を得ずして価値は生じない。
とにかくずるい輩が多く、汚い勝ち方をしても負けた方は悔しい思いも薄く、負けた気がしない。負けた側には死ぬほど悔しがってもらわなければ勝った側は面白くないというものであろう。しらけた勝負だらけで、ヘラヘラ笑う輩が増大する日本に明日があるはずがなーい。
「春紋さんは、つねづねテレビ・新聞を非難していますが、彼らにはほとんど無視されているようにしか見えませんが……」
久しぶりに視た海は梅福の多忙な心身を癒した。
「マスメディアによる私に対するスポーツ攻勢をなんとかして打破せねばならん。まったくとんでもねえ野郎どもだ。この私に金も払わずにタダで儲けようったってそうは問屋がおろさねえよ。自分の都合だけで私をないがしろにする罪は重大だ。そもそも世界戦・全日本代表クラスのスポーツイベントにいつも私が担ぎ出されているようで非常に不愉快だ。とにかく連中は私に頼りすがって戦えという作戦にみえる。こっちはH高校を勝たせるために躍起になっているのを知ってて、そうはさせないとばかりに妨害する奴らのくせに、どういうシンケイしているのかよくよくあつかましい人種だ」
書堂春紋の怒りはときどき天まで届き、天変地異を引き起こす場合があった。今の日本社会体制は、野球好きが考え出した、野球をうまく利用することを思いついた人間が構築したものであると春紋はみていた。明治維新政府の政治がはたして日本という国の舵取りをうまくできてきたのか?徳川幕府の亡霊をひきずって全体的なバランスを欠いていることは否めない。まつろわぬ人々を巨人野球に向かわせ、源氏封じを弄して政権を堅持するシステムはもはや限界である。源氏とは皇族と同族という意味である。鎌倉幕府の源頼朝、室町幕府の足利尊氏、江戸幕府の徳川家康(家康は賀茂氏という説がある)は、天皇に対して幕府政治に君臨し、極めて独立性、権力性が強く天皇の意向を反映することはかなわぬ者たちであった。それゆえ、源氏政治には大変なアレルギーを有しているといえるのである。徳川家康などはホントに源氏なのかどうなのかという怪しい人物のために源氏が愚弄されるのは疑問である。家康は民衆に「檀家制度」を定め、仏教王国を目指したわけだが、本地垂迹説に基づいて「本当は仏教の仏です(本地)が、日本では神道の神としてやってます(垂迹)」東照大権現であることを衆知させ、自ら日本人らしさをこばんでいる。今は本地垂迹説は消滅している。読売巨人野球空間はやっかい者たちを収容する施設、刑務所に近いかも。実際は、政権が読売をつくったわけで、別に政権を揺さぶる存在でもなんでもないのである。だから、NHK、朝日は自らの地盤を体制を固めために読売巨人を煽り立て褒めまくっているのである。
勝負事と商売・経済の関係法則を探ってみた。勝負事としてスポーツを例にとってみるとして、基本的に「勝ち」は商売にとって実質的には良い影響を与えるものとは思えない。例えばプロ野球球団の優勝にあやかっての感謝セールはその時だけの効果しかなく持続性は期待できないばかりか、かえってその反動の方が怖いような感じがするのではないだろうか? はやい話、「勝利の神」と「商売の神」の仲、関係が全体的なバランスを保っているのだが、この両神に同時に好かれるのは至難の業に近いといえる。好かれるのは書堂春紋ぐらいのものであろう。人はくれぐれも春紋の真似を無理してやるべきではない。これは人間業ではないからである。こういう春紋にあやかろうとしているのが、ソフトバンクや楽天ではないのか?今の日本国はスポーツ狂社会と化している。まさに細胞分裂を引き起こしているのだから、たまったもんじゃないっしょ〜。
日本の勝負世界(特にスポーツ)において、書堂春紋が最高権威の如く関係者に信じられてきたようであるが、誠に気の毒ながら、つまりは春紋に否定されてしまえば、その勝ちも意味がないようなもので、全くの名前だけ、ペーパー上の無味乾燥の骨折り損のくたびれ儲けと化すのである。もっとも記録(紙)に残るだけで満足する輩が多いのも確かだが、春紋に認められないのではまさに自慰的快感でしかないだろう。世界的中心人物である書堂春紋の承認を得ずして価値は生じない。
とにかくずるい輩が多く、汚い勝ち方をしても負けた方は悔しい思いも薄く、負けた気がしない。負けた側には死ぬほど悔しがってもらわなければ勝った側は面白くないというものであろう。しらけた勝負だらけで、ヘラヘラ笑う輩が増大する日本に明日があるはずがなーい。
2009年11月15日
その4
書堂春紋は何人かいる弟子の中で随一の読書家で博覧強記の梅福解伝と話をするのが一番楽しかった。梅福から得る情報知識も有意義である。梅福解伝の博覧強記がいかんなく発揮された渾身作「照魔鏡伝説」を春紋は絶賛している。
「春紋さんの20数年前に選定したスポーツベスト10は日本国中のアスリート、関係者の関心の的になりましたが、春紋さんの意図するところは自身の母校のスポーツを強化することにあったわけですよね。案の定敵対陣営が妨害工作に打って出てきて、最近では機能しなくなってきたのではないでしょうか?」
「そうなんだよ。もとはといえば高校体育連盟に主導権を行使できる高校じゃないから、こっちがやたら勝つと奴らは怒りをあらわにしてくるからな。生意気にこの私のナマエを(ナマエとは、権威、威光、ツキ、運、愛である)無断で使用してイイ思いをするために奴らも必死なんだということが世間はよくわかっただろうよ」
日本全国津々浦々、高校の地域における影響力は計り知れないものがあろうかと思う。大学など比較にならないほどに実質的に日本社会の命運を握っていると言っても過言ではないだろう。そして高校対抗社会の中心人物である書堂春紋をぬきにしては、何事も始まらないかもしれない。さては試しに、書堂春紋のH高校勢力を仮に<こちら陣営>とし、相対するG高校勢力を<あちら陣営>と分けることにしてみる。全国的に勢力的な面で両軍が互角のバランスを保っているのかは定かではないが、ただ好きとか嫌いとかのレベルではほぼ二分真っ二つになる気がしないでもない。しかし、権力的にはどうみても各界で劣勢にあまんじているとしかみえないのが<こちら陣営>であろう。それはアメリカに後押しされた側が有利に働くわけだが、このままではホントに日本はダメになってしまうというものではないのか? 政権主導権を握っていた勢力がそのままアメリカにのっとられてしまったという印象である。はたしてこの日本国において今われわれ<こちら陣営>はいかなる対抗手段をとるべきなのであろうか。このままでは陰と陽がかけあい、生成発展する宇宙の法則からはずれ萎縮していくばかりなのではないのか。日本再生の道を切り開くはまさに<こちら陣営>にかかっているといえるのである。
とは言っても、世の中割り切れるものではなく、人間というものは裏切ったり、逆らったり、一筋縄ではいかない生き物である。こちら側の陣営の者だからうっかり信用したりするとまんまと寝首を掻かれる場合がなきにしもあらずだ。油断大敵とは常に身辺にある。こちら側の人間が私のいうことをきく人間ばかりであるならば高校二元論は成立するが、私の意向を無視した、自分が良ければそれで良いという人間が敵陣営の者たちによって利用され反抗してくるとなると私の立場はなくなってしまうのである。こちら側は分裂分離しやすく、あちら側はより結束求心力を強めていく傾向が顕著になるに違いない。
対極に位置する者を「主」とするのはいうまでもない。もしも、ある者が<こちら側>に属する分子とみられていながら、気持ちは<あちら側>にあり<こちら側>になくしてしかも<あちら側>より支援を得て活動すれば、その者が味方を欺いた分、裏切りの代償は大きいであろう。<こちら側>の王者の生気を吸い取り、<あちら側>の力に貢献する強力なる化け物となりうる者である。実にかような者ほどやっかいなものはないのである。世の中、仲間と思っている者から裏切られるほど不快なものはない。また、面と向かって敵に対するよりは身内を攻撃するほうが、リスクの上でもはるかに優位的征服的に事を運びやすいというものだろう。それは「敵」に支援された力なのに、自分の実力だと錯覚してしまうのがまたやっかいなのである。「骨肉相食む」は妖霊邪霊の喜ぶところである。
されと゜「桃芯門」へ通じる道はこちら陣営よりしかなく、またその一歩さえ踏み込める者も稀であるのだ。こちら陣営の書堂春紋は最高神権を分与された者なるがゆえに、こちらにもあちらにもとらわれずただ春紋を信じることができれば高校次元を超克超越することができ、あちら陣営の人間にも「桃芯門」への道は開かれるのである。しかし、たとえ険しい道を乗り越え門までたどり着いたとしても、門をくぐれるとは限らないのだ。
「春紋さんの20数年前に選定したスポーツベスト10は日本国中のアスリート、関係者の関心の的になりましたが、春紋さんの意図するところは自身の母校のスポーツを強化することにあったわけですよね。案の定敵対陣営が妨害工作に打って出てきて、最近では機能しなくなってきたのではないでしょうか?」
「そうなんだよ。もとはといえば高校体育連盟に主導権を行使できる高校じゃないから、こっちがやたら勝つと奴らは怒りをあらわにしてくるからな。生意気にこの私のナマエを(ナマエとは、権威、威光、ツキ、運、愛である)無断で使用してイイ思いをするために奴らも必死なんだということが世間はよくわかっただろうよ」
日本全国津々浦々、高校の地域における影響力は計り知れないものがあろうかと思う。大学など比較にならないほどに実質的に日本社会の命運を握っていると言っても過言ではないだろう。そして高校対抗社会の中心人物である書堂春紋をぬきにしては、何事も始まらないかもしれない。さては試しに、書堂春紋のH高校勢力を仮に<こちら陣営>とし、相対するG高校勢力を<あちら陣営>と分けることにしてみる。全国的に勢力的な面で両軍が互角のバランスを保っているのかは定かではないが、ただ好きとか嫌いとかのレベルではほぼ二分真っ二つになる気がしないでもない。しかし、権力的にはどうみても各界で劣勢にあまんじているとしかみえないのが<こちら陣営>であろう。それはアメリカに後押しされた側が有利に働くわけだが、このままではホントに日本はダメになってしまうというものではないのか? 政権主導権を握っていた勢力がそのままアメリカにのっとられてしまったという印象である。はたしてこの日本国において今われわれ<こちら陣営>はいかなる対抗手段をとるべきなのであろうか。このままでは陰と陽がかけあい、生成発展する宇宙の法則からはずれ萎縮していくばかりなのではないのか。日本再生の道を切り開くはまさに<こちら陣営>にかかっているといえるのである。
とは言っても、世の中割り切れるものではなく、人間というものは裏切ったり、逆らったり、一筋縄ではいかない生き物である。こちら側の陣営の者だからうっかり信用したりするとまんまと寝首を掻かれる場合がなきにしもあらずだ。油断大敵とは常に身辺にある。こちら側の人間が私のいうことをきく人間ばかりであるならば高校二元論は成立するが、私の意向を無視した、自分が良ければそれで良いという人間が敵陣営の者たちによって利用され反抗してくるとなると私の立場はなくなってしまうのである。こちら側は分裂分離しやすく、あちら側はより結束求心力を強めていく傾向が顕著になるに違いない。
対極に位置する者を「主」とするのはいうまでもない。もしも、ある者が<こちら側>に属する分子とみられていながら、気持ちは<あちら側>にあり<こちら側>になくしてしかも<あちら側>より支援を得て活動すれば、その者が味方を欺いた分、裏切りの代償は大きいであろう。<こちら側>の王者の生気を吸い取り、<あちら側>の力に貢献する強力なる化け物となりうる者である。実にかような者ほどやっかいなものはないのである。世の中、仲間と思っている者から裏切られるほど不快なものはない。また、面と向かって敵に対するよりは身内を攻撃するほうが、リスクの上でもはるかに優位的征服的に事を運びやすいというものだろう。それは「敵」に支援された力なのに、自分の実力だと錯覚してしまうのがまたやっかいなのである。「骨肉相食む」は妖霊邪霊の喜ぶところである。
されと゜「桃芯門」へ通じる道はこちら陣営よりしかなく、またその一歩さえ踏み込める者も稀であるのだ。こちら陣営の書堂春紋は最高神権を分与された者なるがゆえに、こちらにもあちらにもとらわれずただ春紋を信じることができれば高校次元を超克超越することができ、あちら陣営の人間にも「桃芯門」への道は開かれるのである。しかし、たとえ険しい道を乗り越え門までたどり着いたとしても、門をくぐれるとは限らないのだ。
2009年11月11日
その3
書堂春紋著作本がある。自らの思想哲学を書き綴ったものだが、これを読んだ者は好かれ悪しかれ影響を受けない者はいないといっていいほど強烈な光彩を放つ書物であった。今や、仏典、聖書等を超越してしまったかのような感がある。人類は春紋の書物を頼りにし、大いに活用する機会を与えられたわけだが、実際物凄い成果が顕現しているのである。世人は書堂春紋を認めた。
「恐るべし、書堂春紋!」――と。まだ一部の人間にしか知られていない、その書物に巡り会うは幸運である。
「梅福解伝(うめふくかいでん)くんが、今日来る予定なんだが、名図美くんもひさしぶりだから早く会いたいだろう」」
「ええ、いつも彼からはメールが来ますので、近況は知らされています」
「ナニッ〜〜!、チミたち私のしらないところで……。ということは、ほかの、多気部尚松(たきべなおまつ)君とかもか?
「実は、弟子の会でみんな連絡をとりあっています。いけませんでしょうか?」
「そうか、それもそうだな。別にびっくりするほどのことじゃなかった」
書堂と名図美は書堂の海辺の近くの別荘にいる。どこであるかは明かすことはできない。どどっとーと人がおしよせてくる可能性もなきにしもあらずだ。こうして静かな風景を眺める幸せのひとときをひとりじめって感じである。
「こんちわー、書堂さん、おひさしぶりです。いつもお元気でなによりです」
噂をすればかげだ。唐突に梅福解伝は登場した。梅福解伝は本屋を経営している。自身が大変な本好きでかつ読書家で学生時代から本に関係する仕事をしたかった。念願かなっていまでは本屋を3店持つようになっていた。39歳になる。彼がどこでどこに本屋を所有しているかは明かすことはできない。なぜならば、作者がどこにするかどこがいいか検討中?だからだ。
「おー、来たか。仕事の方はどうだい? まっ、ここでくつろいでいってくれたまえよ」
「こっちはだいじょうぶです。書堂さんの本もじわじわと売れてきてますよ。これは全国的な傾向で、ロングセラー。ベストセラーも夢ではないでしょう」
「むふふふふふふ、そうなってくれると私もやりがいがあるよ。私の戯言につきあってもらうとするかな」
春紋は、みずから冷蔵庫にいき中からピーチジュースを取り出し梅福と名図美にふるまった。名図美は秘書の如くそばにつきそっているが、しょっちゅう自分で名図美に飲み物を差し出しては気をきかしているつもりであった。
【主体論】
☆人間は物の考え方、見方が皆同じということはない。例えば大別二分されるとしよう。わかりやすい例として政治体制側の人々と反体制側の人々をみれば容易だが、霊的にたとえ分かれるとしても複雑複合的で、あってないようなものである。「神」を信仰する者としない者というわけ方もあるが、人は自身をみて本当に神を信じているのかわからないところもあるに違いない。
「神」の分魂の如き存在を主体とすれば、これに従う勢力と反勢力の対立的磁場が生じ、人間社会が活気づいていく。さて、主体側はもともと王者であり、挑戦を受ける立場である。チャレンジャーは王者でないコンプレックスをバネにして凄まじい努力を厭わずひたすら王者を倒すべく死に物狂いで戦う。一方の王者の側は精神的特典を付与され気持ちに余裕があり、チャレンジャーのファイトをなめてかかり、知らないうちに力が衰退してしまったりする。王者は常に挑戦者の執念を思い知りその上を行く努力をしなければ、王者であり続けるのは容易ではないだろう。このような傾向は、進学勉強、仕事社会等に如実に反映されているので、心して生きていきことが肝要である。
あちらがこちらを真似をする方がこちらがあちらを真似をするのよりも成果があるのは、なぜなのか?
どちらかが「影」でどちらかが「本体」といったような極端な区別まではいかないまでもそれに近い見方ができようかと思う。挑戦者は「追い詰められた野獣」でありまさにありとあらゆる手段を用いて、死に物狂いで向かってくるのである。それを受ける王者は、燃え盛る執念と勢いに優る挑戦者を退けるべく、精神力と力でねじ伏せるぐらいでないと「死闘」を制することはかなわぬであろう。最後に「ツキ」を味方につけるために全身全霊を傾けよ。
「周囲の者が勝手に私を祭り上げていたというしかない。いい迷惑である。少しは気を遣ってくれてもよさそうなものだが、あとは知らぬ存ぜぬではこの私が気の毒というものだろう。さて、私を小玉体身と信じる者は、私の存在を世にも類稀な「宝玉(ほうぎょく)」とイメージすることである。欠陥だらけの生身の人間肉体身であることはわかりきってい。私を直視すれば幻滅するというものではないか。学校時代ろくに勉強もせず、また精神上、肉体上、強いとはいえない私である。信じる者に私の欠点弱点を投影したところで進歩がないだろう。自らを閉ざすな。「道」はそこにある。信じる者、個人の努力と向上心によってすべては克服されるであろう。(←ホントかよ)「贖いの神」は菅原道真やイエス・キリストのように品行方正の者でないとその資格はないと思われる。私の使命はそういうことではないと思っておる。
それにいったい何者がこの私をH高校の玉体身にまつり上げたのか知らないが、私にしてみれば、知らないうちにそうなっていて非常に不可解で不愉快な話なのである。我が霊存在が、下々まで影響を行使、展開するという理屈だけでは、一方通行で、これでは下々に吸い取られてしまうだけである。
私自身が手下の人たちに手厚く保護されて生活しているのであれば、それも通用するかもしれないが、如何せん、典型的ビンボー人に成り下がっている現状においては迷惑千万というものだ。 ただ私に頼るだけでなく手下の人たちも、この私にとって役に立つように心がけてもらえれば最高であるし、各個人の努力が王者を支えるといっても過言ではないだろう。そうでなければこの私によって激しく罵られ、抹殺(社会的生命を絶たれる)されること必定である。たとえその者がこの私をなんとも思わなくとも敵対勢力は、仕向けてくるであろうから、注意することだ。
王者と手下の者たちが一致協力するのが理想的な姿であることはいうまでもない。
とにかく、私ひとりを封じればそれで万事うまくいくという奴等の定義を打破することを今後の課題として提起しておく」
「恐るべし、書堂春紋!」――と。まだ一部の人間にしか知られていない、その書物に巡り会うは幸運である。
「梅福解伝(うめふくかいでん)くんが、今日来る予定なんだが、名図美くんもひさしぶりだから早く会いたいだろう」」
「ええ、いつも彼からはメールが来ますので、近況は知らされています」
「ナニッ〜〜!、チミたち私のしらないところで……。ということは、ほかの、多気部尚松(たきべなおまつ)君とかもか?
「実は、弟子の会でみんな連絡をとりあっています。いけませんでしょうか?」
「そうか、それもそうだな。別にびっくりするほどのことじゃなかった」
書堂と名図美は書堂の海辺の近くの別荘にいる。どこであるかは明かすことはできない。どどっとーと人がおしよせてくる可能性もなきにしもあらずだ。こうして静かな風景を眺める幸せのひとときをひとりじめって感じである。
「こんちわー、書堂さん、おひさしぶりです。いつもお元気でなによりです」
噂をすればかげだ。唐突に梅福解伝は登場した。梅福解伝は本屋を経営している。自身が大変な本好きでかつ読書家で学生時代から本に関係する仕事をしたかった。念願かなっていまでは本屋を3店持つようになっていた。39歳になる。彼がどこでどこに本屋を所有しているかは明かすことはできない。なぜならば、作者がどこにするかどこがいいか検討中?だからだ。
「おー、来たか。仕事の方はどうだい? まっ、ここでくつろいでいってくれたまえよ」
「こっちはだいじょうぶです。書堂さんの本もじわじわと売れてきてますよ。これは全国的な傾向で、ロングセラー。ベストセラーも夢ではないでしょう」
「むふふふふふふ、そうなってくれると私もやりがいがあるよ。私の戯言につきあってもらうとするかな」
春紋は、みずから冷蔵庫にいき中からピーチジュースを取り出し梅福と名図美にふるまった。名図美は秘書の如くそばにつきそっているが、しょっちゅう自分で名図美に飲み物を差し出しては気をきかしているつもりであった。
【主体論】
☆人間は物の考え方、見方が皆同じということはない。例えば大別二分されるとしよう。わかりやすい例として政治体制側の人々と反体制側の人々をみれば容易だが、霊的にたとえ分かれるとしても複雑複合的で、あってないようなものである。「神」を信仰する者としない者というわけ方もあるが、人は自身をみて本当に神を信じているのかわからないところもあるに違いない。
「神」の分魂の如き存在を主体とすれば、これに従う勢力と反勢力の対立的磁場が生じ、人間社会が活気づいていく。さて、主体側はもともと王者であり、挑戦を受ける立場である。チャレンジャーは王者でないコンプレックスをバネにして凄まじい努力を厭わずひたすら王者を倒すべく死に物狂いで戦う。一方の王者の側は精神的特典を付与され気持ちに余裕があり、チャレンジャーのファイトをなめてかかり、知らないうちに力が衰退してしまったりする。王者は常に挑戦者の執念を思い知りその上を行く努力をしなければ、王者であり続けるのは容易ではないだろう。このような傾向は、進学勉強、仕事社会等に如実に反映されているので、心して生きていきことが肝要である。
あちらがこちらを真似をする方がこちらがあちらを真似をするのよりも成果があるのは、なぜなのか?
どちらかが「影」でどちらかが「本体」といったような極端な区別まではいかないまでもそれに近い見方ができようかと思う。挑戦者は「追い詰められた野獣」でありまさにありとあらゆる手段を用いて、死に物狂いで向かってくるのである。それを受ける王者は、燃え盛る執念と勢いに優る挑戦者を退けるべく、精神力と力でねじ伏せるぐらいでないと「死闘」を制することはかなわぬであろう。最後に「ツキ」を味方につけるために全身全霊を傾けよ。
「周囲の者が勝手に私を祭り上げていたというしかない。いい迷惑である。少しは気を遣ってくれてもよさそうなものだが、あとは知らぬ存ぜぬではこの私が気の毒というものだろう。さて、私を小玉体身と信じる者は、私の存在を世にも類稀な「宝玉(ほうぎょく)」とイメージすることである。欠陥だらけの生身の人間肉体身であることはわかりきってい。私を直視すれば幻滅するというものではないか。学校時代ろくに勉強もせず、また精神上、肉体上、強いとはいえない私である。信じる者に私の欠点弱点を投影したところで進歩がないだろう。自らを閉ざすな。「道」はそこにある。信じる者、個人の努力と向上心によってすべては克服されるであろう。(←ホントかよ)「贖いの神」は菅原道真やイエス・キリストのように品行方正の者でないとその資格はないと思われる。私の使命はそういうことではないと思っておる。
それにいったい何者がこの私をH高校の玉体身にまつり上げたのか知らないが、私にしてみれば、知らないうちにそうなっていて非常に不可解で不愉快な話なのである。我が霊存在が、下々まで影響を行使、展開するという理屈だけでは、一方通行で、これでは下々に吸い取られてしまうだけである。
私自身が手下の人たちに手厚く保護されて生活しているのであれば、それも通用するかもしれないが、如何せん、典型的ビンボー人に成り下がっている現状においては迷惑千万というものだ。 ただ私に頼るだけでなく手下の人たちも、この私にとって役に立つように心がけてもらえれば最高であるし、各個人の努力が王者を支えるといっても過言ではないだろう。そうでなければこの私によって激しく罵られ、抹殺(社会的生命を絶たれる)されること必定である。たとえその者がこの私をなんとも思わなくとも敵対勢力は、仕向けてくるであろうから、注意することだ。
王者と手下の者たちが一致協力するのが理想的な姿であることはいうまでもない。
とにかく、私ひとりを封じればそれで万事うまくいくという奴等の定義を打破することを今後の課題として提起しておく」
